「本格的」とあえて書いたのは、それ以前にも8年間、地元のおじい、おばあが中心になって座り込みを続けていたからです。辺野古テント村にある日数表示もそうなっています。
10年前の2004年4月19日は、那覇防衛施設局(当時)が辺野古にだまし討ちをした日でした。
私が辺野古に初めて行ったのは、その年の9月です。4月19日の事をよく知っている方にインタビューさせていただきました。
那覇防衛施設局の役人が基地建設の調査のために辺野古に来て、基地建設に反対している人たちと話し、「今日は帰ります」と言って帰ったのに、しばらくして反対している人たちがいなくなったのを見計らって、再びこっそりと現れました。
それを見つけた人が指笛を鳴らし、かけつけた人たちと那覇防衛施設局の役人との間で揉み合いになったそうです。
それ以来、「那覇防衛施設局は、いつだまし討ちをするかわからない」ということで、毎日の座り込みが始まり、10年間続けられてきました。
私は、そこにいる多くの方にインタビューをさせていただきましたが、それぞれの人が沖縄に対して、戦争に対して、平和に対して、環境に対して、さまざまな想いを抱えてそこにいることがわかりました。

10年間の間には、亡くなられた方もたくさんいます。そうした方々の想いを受け継ぎながら、辺野古での今の座り込みがあります。
以下は私が最初に伺った2004年の、小禄信子さんへのインタビューです。
https://www.youtube.com/watch?v=JNr0392Tbmg
2005年には、日米両政府が決めた辺野古沖案が頓挫し、もともとは「海の上に基地を造れば安全」と説明していたのにもかかわらず、陸上に米軍基地を造る計画に変更されました。
なりふり構わない日米両政府のやり方に対し、辺野古では、いまでも座り込みが続けられているわけです。
本日行われた辺野古の浜で集会と海上抗議パレードについては、以下で報道されています。
【沖縄タイムス】
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=67194
【琉球新報】
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-223863-storytopic-53.html
【共同通信】
http://mainichi.jp/select/news/20140419k0000e010208000c.html