2009年10月19日

僕個人の話と「奄美と沖縄をつなぐ」イベント

僕がはじめて沖縄に行ったのは1996年、30代の時だった。米軍基地の問題には少なからず関心があったけど、行こうと思った直接のきっかけは本物の沖縄民謡を聴いてみたいと思ったからだ。

飛行機の窓から米軍基地が見えてその広さに驚いた記憶がある。北海道で生まれ育った僕にとって沖縄は、なにもかもが新鮮だった。バスに乗ってたまたま隣り合わせた同年代の人は普天間基地の近くに住んでいる人で、想像していたよりも基地問題への関心は薄いように感じたが「騒音は凄い」と言っていた。

その後、しばらく東京でシーサーズという沖縄民謡などを演っているバンドにかかわっていた。シーサーズのメンバーは沖縄人ではなく、沖縄の音楽をヤマトンチュ(内地人)として解釈して演奏していた。沖縄民謡の「ヒヤミカチ節」は、シーサーズが演ると沖縄の楽器を使ってアレンジもそれほど変えていないのに、ロックンロールのドライブ感に溢れていた。

その頃シーサーズのメンバーだった宇野世志恵さんが先日、亡くなってしまった。当時、撮り続けていた映像をまとめて、なんとか残したいと思っている。

シーサーズとマタハリダンサーズによる沖永良部島の奴踊り
(画像は「横浜寿町フリーコンサート」より、シーサーズとマタハリダンサーズによる沖永良部島の奴踊り)

シーサーズはいまでも活動を続けている。中心になっている持田明美さんなどが企画し、11月14日に東京で「奄美と沖縄をつなぐ」というイベントが行なわれる。
http://shisas-blog.blogspot.com/2009/10/link-o.html
シーサーズはもともと沖縄人ではないし、さまざまな「シマ唄」を歌うというコンセプトだから、沖縄民謡だけではなく、オリジナルや富山の民謡、小笠原の民謡、奄美の民謡などを歌ってきた。沖縄にほど近い沖永良部島の奴(やっこ)踊りも、シーサーズの解釈では独特のキレがある踊りに変化した。

奄美は地理的には沖縄と近いのだけれど、九州と沖縄の間で微妙なポジションにある。アジア太平洋戦争後も沖縄は占領され続けたのに対し、奄美はたしか1年後には日本に「返還」された。(この「返還」という言葉は沖縄や奄美が日本の「所有物」であるかのようにも取れる微妙な言葉だ。)

かつて沖縄(琉球)の人達は薩摩から搾取され差別されていた。そして、奄美の人達も薩摩から差別されていたという。しかし、沖縄から見れば奄美も「差別」していた側に写るらしい。
沖縄(琉球)が薩摩に侵略されたのは、いまからちょうど400年前だそうだ。それまでは近所の島々だった琉球弧は、与那国島と沖縄島の間に境界線が引かれてしまった。そんな奄美と沖縄をトークセッションとシマウタのコンサートでつなごうというのが、このイベントだ。コンサートでは奄美から沖縄、八重山までの同じ曲や似たような曲を並べるという。唄によるつながりを体感できそうだ。

「奄美と沖縄をつなぐ」チラシ表 「奄美と沖縄をつなぐ」チラシ裏

2004年に初めて沖縄の辺野古(へのこ)に行って以来、映像やブログで辺野古での基地建設計画(いわゆる「普天間代替施設」)について伝えてきた。沖縄人ではなくヤマト(内地)に住んでいる者ならでは視点で、沖縄の問題を見つめ伝え続けていきたいと思う。
ラベル:音楽 沖縄 奄美
posted by あつこば at 19:34| Comment(0) | TrackBack(1) | メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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