市街地の真ん中にあって事故の危険性が高い普天間基地の「移設先」をどこにするかという議論が、昨年来、政界やマスメディアで賑わっています。

(画像は宜野湾市のWebサイトより普天間基地)
そもそも普天間基地は、戦争中に沖縄に上陸したアメリカ軍が民家や畑をつぶして造った軍事基地ですから、すぐに無条件で返還するべきであって、アメリカのために日本の税金を使って移設する必要はありません。
詳しくは、このブログの以下などで書いています。
普天間基地ってどんな基地?
http://atsukoba.seesaa.net/article/126373072.html
「普天間移設」は、どこかが受け入れるべきなのか?
http://atsukoba.seesaa.net/article/137472130.html
「普天間代替施設」って、なあに?
http://atsukoba.seesaa.net/article/67855417.html
さて、現在、国民新党は普天間基地の移設先として「キャンプ・シュワブ陸上案」を提出しました。政府もこの案を軸に検討しているというような報道がされていましたが、沖縄で反対の声が強く、平野官房長官も「陸上案が政府案ということはない」と沖縄県の仲井真知事に伝えたそうです。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010031100396
しかし、そもそも、こんな案が出てくること自体がおかしいのです。
沖縄の辺野古(へのこ)に普天間基地の機能を移設する計画が始まった1996年頃、政府や防衛庁(当時)は、どんな説明をしていたでしょう?
「海の上にプカプカ浮かぶ基地を造りますよ。海の上だから騒音も少ないですし、事故が起きても海に落ちますから安心ですよー」
というように説明していたわけです。

(画像は当時のパンフレット)
「キャンプ・シュワブ陸上案」という言葉で報道されていると、よくご存じない方は辺野古とは別のところだと思ってしまうかもしれません。しかし、「キャンプ・シュワブ」は辺野古にあるんですよ。
「海の上だから大丈夫」と言っていたのに、なんで陸に造るんですか?
普天間基地について議論をされている人達は、辺野古で座り込みをしている人達のところに言って、そこにいる一人一人の話を聞いたことがあるのでしようか?


(画像は歌手の加藤登紀子さんが辺野古のテントを訪問した際のもの)
辺野古で座り込みをしている人達は、一人一人がそれぞれの人生や現在の生活、さまざまな葛藤を抱えながら、「辺野古には絶対に基地を造らせない」という思いで頑張っています。
10数年も続いていますから、なかには亡くなった方もいらっしゃいます。私が知っているだけでも3人の方が亡くなりました。
その人達の話を丁寧に聞けば、なぜ基地を造るのがダメなのか、そして、なぜ10何年間も基地を造れなかったのかがわかります。
辺野古には基地を造っちゃあダメなんです。
(辺野古在住で昨年亡くなった小禄信子さんへのインタビューです。)
http://www.youtube.com/user/ATSUKOBAz#p/u/1/JNr0392Tbmg