2007年05月28日

亡くなった金城祐治さんについての東京新聞の記事

明日の上映会で配る資料づくりをしていたために、昨日はブログへの書き込みはできませんでした。

きょうも忙しいので短めにさせていただきます。

先日亡くなった金城祐治さんについての東京新聞の記事です。
24日の夕刊に掲載されたものです。
ぜひ、以下で全文を読んでみてください。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007052402018674.html
----------------------------------------------------ここから引用----
 辺野古での闘いは、普天間基地の移設候補地に浮上した一九九七年に始まる。路線バス運転手を定年退職後、地元住民で結成する「命を守る会」の代表になった金城さんは、建設予定地を見渡す海辺に建てた小さな団結小屋に、毎日のように通った。「この海は皆の宝。でも、辺野古の者だけじゃ守れない」と、全国から応援に駆けつけた人たちに運動の意義を語り続けた。
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 大阪生まれの金城さんは沖縄戦を体験していない。父の故郷の辺野古に帰ってきたのは、沖縄返還前年の七一年のこと。それを知らずに「沖縄戦の体験は…」と尋ねたとき、金城さんの穏やかな表情が曇り、無言の時が流れたのを覚えている。沖縄の人としてあの戦争を共有しなかったことに負い目に似た複雑な感情があるように思えた。

 だからこそ、再び沖縄を傷つけまいと体を張ったのではなかろうか。
-------------------------------------------------------中略---------
 訃報(ふほう)は十九日早朝、団結小屋に届いた。闘いを優先させるため見舞いも断り続けていた金城さん。その遺志を継ぐカヌー隊の若者たちは、悲しみをこらえ泣きながら海に出たという。
-------------------------------------------------------中略---------
「アメリカがここに基地を造るっていうのは、よその国を攻めるためでしょ。それは許せないね。加害の島にはしたくないんです」。金城さんの決意の言葉が今も、耳に残っている。
-----------------------------------------------------引用ここまで---

私自身も辺野古で何度もお会いしました。

最初に会った時、「僕は大阪に住んでいたからウチナー口(沖縄の言葉)は喋れない。」と少し寂しそうに語っていました。

辺野古で基地建設を止めようとしている人達の中には、自分自身が生粋の沖縄人ではない事に少なからず負い目を感じながら基地建設を止めようとしている人が何人もいます。

金城祐治さんと同じ年で、今でもカヌーで海に出ている女性は、初めてお会いした時に「私は35年しか沖縄に住んでいないのよ」と話してくれました。

別の方は、本土に住んでいて子供時代に沖縄に帰ってきて、当時「方言札」などを使ってウチナー口を使わせないように教育していた学校で、標準語を話せるからといって優等生扱いされた事に対して、今でもコンプレックスを持っていると言っていました。

多くの人が、自分と沖縄の関係を問い続けながら、基地建設を止めるための行動をしています。


posted by あつこば at 16:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 米軍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
昨日はお疲れ様でした。個人的にも非常に示唆的でした。「軍需工場」も含め、今後も期待します。
Posted by 齊藤 at 2007年05月30日 08:29
斉藤さん、ありがとうございます。

『軍需工場は、今』は、作品の存在もあまり知られていませんが、日本の軍需産業の実態を知る事ができる作品として、こちらも広めていきたいと思っています。
http://www.ndn-news.co.jp/shop/05.4.5-1.htm

こちらもよろしくお願いいたします。

Posted by あつこば at 2007年05月30日 10:03
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